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 □「セイキロスさんとわたし」 no.05

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これまで「小さな丸い大理石の柱」に刻まれている
資料の自己紹介、本文、後書きを読んできました。

今回はラムゼイさんが
「何を意味するのか分からない」と書いていた
本文の上の小さなしるしを一つ一つ確認して、
それが指し示すものを聴きとってみたいと思います。

下に書き出した奇妙な文字列は、
ラムゼイさんの1883年の報告から
しるしを書き出したものです。

クルシウスさんの1891年の論文を読んでみると、
これはどうも音符のようですが・・・


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ΣΖ ΚΙΖΙ
ΚΙΖ ΙΚΟ
Σ ΟΦ ΣΚΖ
ΙΚΙΚΣ ΟΦ
ΣΚΟ?Ι Ζ
ΚΣΣ ΣΧ┐

「c」は「s=Σ」に翻字。
「?」の部分は他の文字列とは異質の黒い塗りつぶしです。

幾つかのしるしの上には横棒が引かれています。
ここに横棒も含めて書き出したものを挙げておきます。

このしるしはいったい・・・


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■街でしるしと出会ったとき・・・

セイキロスさんのコミュニティでは、
街でこのしるしと出会ったとき、場合によっては、
このしるしが読めなくても、読むまでも無く、
しるしの指し示すものを心に刻むのかもしれませんが・・・

今はそれがそもそも
どんなものを指し示すしるしなのか、
確認するところから始めなければなりません。

そこで今回は音楽学者ザックスさんの助けを借りて
この「しるし」の指し示すものを確認してみたいと思います。


■ギリシアの音のしるし

音楽学者ザックスさん
(Sachs, Curt, 1881-1959 ドイツに生まれ、
1934年ナチスによる民族迫害を逃れてパリへ、
更に1937年アメリカに移住)が
1943年に著した古代の音楽の概説書
The rise of music in the ancient world : East and West
New York : W. W. Norton & company, Inc, 1943によると、

ギリシアの楽譜の記譜法には2種類あって、
器楽記譜法によって独奏楽器の指使いを示し、
声楽記譜法によって声楽の伴奏楽器の指使いを示します。

器楽記譜法では「古い文字」を、時には倒して、
あるいはひっくり返して使いますが、
声楽記譜法では「普通のギリシア文字」とその変形が主に使われます。

今回の資料では、
最後の部分に「コ」という文字が使われている以外は
(ザックスさんはこれをΓ(ガムマ)の変形の「┐」ととっています)、
「普通のギリシア文字」がしるしとして文章の上におかれています。

こうしたことから、
今回の資料で文章の上に置かれているしるしについて、
ザックスさんはこれを声楽記譜法による音のしるし、
つまりうたの音符であるとしています。

うたの音符ということなので、
ここでうたの歌詞の切れ目にあわせて4行に整えてみると・・・

ΣΖ ΚΙΖΙ
ΚΙΖ ΙΚΟΣ ΟΦ
ΣΚΖ ΙΚΙΚΣ ΟΦ
ΣΚΟ?Ι ΖΚΣΣ ΣΧ┐

しるしの並びが韻を踏んでいる感じです。

幾つかのしるしの上には横棒が引かれています。
横棒の置き場所もなにか韻を踏んでいる感じです。


■現在の音のしるしとの対応

1.
ギリシアの声楽記譜法と現在の記譜法は、
次の対応表のように関係づけられます。

左からギリシア式:英米式:イタリア式、
表の上の方が高音、下の方が低音・・・

ギリシア式
Α Β Γ
Δ Ε Ζ
Η Θ Ι
Κ Λ Μ
Ν Ξ Ο
Π Ρ Σ
Τ Υ Φ
Χ Ψ Ω
英米式
f# f# f
e# e# e
d# d# d
c# c# c
b# b# b
a# a# a
g# g# g
f# f# f
e# e# e
イタリア式
ファ# ファ# ファ
ミ # ミ #
レ # レ #
ド # ド #
シ # シ #
ラ # ラ #
ソ # ソ #
ファ# ファ# ファ
ミ # ミ #

※VはΑの倒置形、
RはΒの底なし形、
┐はΓの鏡像形。
 Αの倒置形以降はΑ〜Ωの変形が続きます。

ギリシア式ではアルファベットが進むほど音が低くなりますが、
英米式ではアルファベットが進むほど音が高くなります。

ギリシア語のアルファベットの読み方の例


2.
対応表を見ると分かるように、声楽記譜法では、
「Γ(ガムマ)の列」のΓΖΙΜΟΣΦΩ┐は、
普通のファミレドシラソファミの音のしるし、
開放弦のしるし、弦を押えないで演奏するしるしです。

同じく対応表を見ると分かるように、
「Α(アルパ)の列」と「Β(ベータ)の列」は
ファ#ミ#レ#ド#シ#ラ#ソ#ファ#ミ#の音のしるし、
弦を押えてシャープの音を演奏するしるしです。(※)


3.
ここで今回の資料で使われている音を確認してみましょう。

重複を排して音の高い順、
つまりギリシア語のアルファベット順に並べると
次のようになるので、

ΖΙ(Κ)ΟΣΦ(Χ)┐
※かっこ内は弦を押さえて弾くシャープつきの音

ドレミでいうと次のような音階を持つことが分かります。

ミ レ ド# シ ラ ソ ファ# ミ

印刷して読むことのできる方は、
対応表の中の今回の使われている音に
丸をつけて確認してみましょう。
(下の「音階の確認」のコーナーでも確認できます)


4.
そういうわけで、今回の資料は、
ザックスさんの説に従うと、
ミレシラソミ(ΖΙΟΣΦ┐)に
音合わせした場合に即した楽譜、
ということになります。

ド#とファ#は弦を押さえてはじきます。


(※)補足・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

弦を押さえて演奏するシャープ音記号は
その指使いの関係から2列になります。

そのうたで使う音を高い順に並べたとき、

「そのシャープ音から次の音まで全音分(=半音2つ分)空いている」
(ピアノの鍵盤で言うと隣同士でなく間に一音入る)場合、
「Αの列」のシャープ音記号(ΑΔΗΚΝΠΤΧV・・・)を使い、

「そのシャープ音から次の音まで半音」
(ピアノの鍵盤で言うと隣同士)の場合、
「Βの列」のシャープ音記号(ΒΕΘΛΞΡΥΨR・・・)を使います。

例えば今回の資料の場合、

ミ レ ド# シ ラ ソ ファ# ミ

ド#とシの間には普通のドが挟まっているので
(「そのシャープ音から次の音まで全音分空いている」)、
ド#はドの「Αの列」のΚで表記され(「Βの列」のΛではなく)、
ファ#とミの間にも普通のファが挟まっているので、
(「そのシャープ音から次の音まで全音分空いている」)
同じく「Αの列」のΧで表記されます(「Βの列」のΨではなくて)。


5.音のしるしの上にある棒

ザックスさん(1943)には、
「音のしるしの上にある棒は、韻律のしるし」とだけ書かれています。

The Skolion of Seikilos.
From a tomb stele at Tralles in Asia Minor,c.100 B.C.
- The skolion begins on the sixth line.
The notes, placed above the corresponding syllables of the text,
are taken from the current alphabet
and belong to the so-called Vocal Notation.
The dashes above some of these notes are rhythmic symbols.

「セイキロスのスコリオン。
小アジアのトラレスの墓碑(紀元前100年頃)より。
スコリオンは6行目から始まる。
歌詞の対応する音節の上に置かれている音符は当時の文字から取られ、
いわゆる声楽記譜法に属するもの。
これらの音符のいくつかの上にある棒は、韻律のしるしである。」

※この説明文は拓本らしきものの写真の説明文としてかかれているのですが、
(拓本:石碑などに刻まれた文字や模様を紙など押し当てて写し取ったもの)
拓本らしきものに関しても、写真に関しても出典不明です。
ただ、この写真には、
フランスのロモニエさんが1922年に撮影した実物写真に存在しない
「ΖΗ」という文字が見えるので、
それ以前に取られた拓本をその後撮影したものかもしれません。


■しるしに対応する音の確認

1.
確認機」で実際に音を出して音階を確認してみましょう。
*ここでは上の対応表を左に90度倒してあるので、
「 Γ(ガムマ)の行」が開放弦の行になります。

オレンジ色の座布団を敷いたしるしが今回の資料で使われているしるしです。
これを左から順に叩いていくと今回の資料の音階が確認できます。

もしも画面が表示されない場合は、
こちらから「Flash Player」の
インストール(取り付け)をお願いします。
※「Flash Player」取り付けページ

2.ラムゼイさんが書きうつしたしるしも「確認機」に書き出しておきました。
「確認機」で実際に旋律を弾いてみましょう。

※参考のために演奏例を用意しました。
「例」の字を叩くと聞くことができます。
しるしの上の横棒を歌詞に合わせて自然に音を伸ばすしるしとし、
「?」をメディア自体の傷として削除した場合の演奏例です。


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■しるしをうつす

出会ったしるしをうつしとると、
うたう度にうたが変わるように、
様々な変化が起こります。
例えば・・・

1.しるし自体の変化

□ラムゼイさん(1883)が
何を意味するのか分らないまま
活字でうつしとったしるしと、
クルシウスさん(1893)
石碑の拓本を絵にうつしとったしるし
の違いをまず見てみましょう。

(ラムゼイさん)
ΣΖ  ΚΙΖΙ
ΚΙΖ ΙΚΟ
Σ ΟΦ ΣΚΖ
ΙΚΙΚΣ ΟΦ
ΣΚΟ?Ι Ζ
ΚΣΣ ΣΧ┐

(クルシウスさん)
比較のために活字におとすと・・・
ΣΖΖ ΚΙΖΙ
ΚΙΖ ΙΚΟ
Σ ΟΦ ΣΚΖ
ΙΚΙΚΣ ΟΦ
Σ ΟΙ Ζ
ΚΣΣ ΣΧ┐

ラムゼイさんとクルシウスさんは、
1行目(ラムゼイさん「ΣΖ」、クルシウスさん「ΣΖΖ」)と
5行目(ラムゼイさん「ΣΚΟ?Ι」、クルシウスさん「Σ ΟΙ」)で
違っています。

また、ザックスさん(1943)の引用による
出典不明の拓本らしきものの写真では
6行目の上から今回のしるしが始まっていますが、
しるしの1行目はクルシウスさんと同様「ΣΖΖ」、
しるしの5行目は薄くなっていますが
ラムゼイさんと同様「ΣΚΟ?Ι」のようです。
「ΣΚΟ?Ι」の中の「?」はメディアの傷のようでもあります。


□「しるしの上の横棒」に関しては、
ラムゼイさんとクルシウスさんは、
置かれている場所だけでなく、
そのしるしそのものが違っています。

ラムゼイさんが活字に起こしたものではただの横棒ですが、
クルシウスさんによる拓本の絵では、
右上に曲がっているものがあったり、
点が付いているものがあったりなど、
微妙なニュアンスがあることが分かります。

この「韻律のしるし」については、
次回もう少し詳しく見てみたいと思います。


2.断片の引用

ザックスさんは今回の本の中で、
うたの楽譜になっているところだけを断片的に引用して、
それに「スコリオン」という頭書きを付けています。

※スコリオン(skolion)・・・・・・・・・・・・・・・・・
:集まった人々が次々に歌う酒席での歌・・・等々。
例えば次のページを参照
Suda On Line: Byzantine Lexicography
Sudaの原文を公開、更にその英訳等をみんなで作ろう、
という感じのプロジェクト。
Sudaというのは10世紀頃編纂の事典(ギリシア語)。

findボタンの後の四角にskolionと入れて、
findボタンを押してみましょう。
3つの検索結果の3番目にスコリコンの意味が載っています。
find skolion in 「headword(見出し語)」としておけば、
見出し語がスコリオンの項目だけが検索されて、
ギリシア語の原文(もしもフォントが入っていれば)と
翻訳とが表示されます。
また文末のnextボタンも押してみましょう。
まだ英語に翻訳されていない原文が表示されます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日残されている古典資料は、
継承者あるいは批判者によって
断片的に不完全に引用されることでかろうじて残っている、
というものが数的には非常に多いかもしれません。


3.メディアの変化

うたは碑文になり、
碑文は拓本になり、絵になり、写真になり・・・

メディアが変化すると、
うつしとる数、散らばり方、
寿命、居場所、使われ方・・・等々、
資料の特性も変わっていきます。

うたはセイキロスさんのコミュニティから遠く離れて・・・
例えば活字や絵や写真になって印刷されて、
小部数の学術雑誌によって古典/音楽研究者のコミュニティに・・・、
さらに概説的な書籍によって、店頭や図書館を通して、
一般の音楽研究者のコミュニティに・・・

・・・

しかし多くの資料は、
うつされて「メディアが変化」する以前に、
「メディアが劣化」してそのまま消滅していきます・・・


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■しるしと出会う、うつす、伝える・・・

資料はさまざまにつくられて、

その大部分はうつされることなく、
さまざまに消えていきますが・・・

しかし、時には、
たまたま出会ったしるしがなにか欠かせないものになって、
「うつさずにいられない」
「伝えずにいられない」
という事態が起こることがあります。
時にはそれが何を意味しているしるしなのかも分からないまま・・・

こうして、
ひとつの資料あるいは複数の新旧資料から
さまざまにうつされてさまざまに変化して、
その大部分はさまざまに消えていきますが・・・

今回の資料も大方の資料と同様、
うたも石碑も姿を消してしまいましたが・・・

断片的で不完全ではあるけれども、
互いに少しずつ異なるいくつかのうつしが残りました。

今回はこうしたうつしの中から、
ラムゼイさんの活字によるうつしを取り上げて、
そのしるしが指し示すものの概略を確認してきました。

次回はラムゼイさんのうつしと出会ったクルシウスさんが、
さらに詳しくしるしの指し示すものについて調べてうつした、
絵によるうつしを取り上げて、
そのしるしが指し示すものをさらに詳しく確認していきたいと思います。


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■おまけ:生月町(いきつきちょう)の古いページ
禁じられたラテン語のうたを口伝えで辛うじて・・・

※http・・・chris2.htmlの途中で改行されていて
見ることが出来ない場合は、
コピーして一行に繋いでみるといいかもしれません。
※伝えられてきたひらがなの歌詞は
分かち書きしなおすと分りやすいかもしれません。

長崎県北松浦郡生月町の場所
ページ上方の「縮尺の切り替え」でズームインしてみましょう。


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それでは改めて、
ラムゼイさんが書きうつしたしるしを、
ザックスさんの案に従って、
音として確認してみましょう。

ΣΖ ΚΙΖΙ
ΚΙΖ ΙΚΟ
Σ ΟΦ ΣΚΖ
ΙΚΙΚΣ ΟΦ
ΣΚΟ?Ι Ζ
ΚΣΣ ΣΧ┐

*文章の切れ目にあわせて4行にすると・・・
ΣΖ ΚΙΖΙ
ΚΙΖ ΙΚΟΣ ΟΦ
ΣΚΖ ΙΚΙΚΣ ΟΦ
ΣΚΟ?Ι ΖΚΣΣ ΣΧ┐


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