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 □「セイキロスさんとわたし」 no.03

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「小さな丸い大理石の柱」について、
それが置かれていた場所とメディアについて確認してきました。

今回は「小さな丸い大理石の柱」の自己紹介に
耳を傾けてみたいと思います。

自己紹介はギリシア語なので、
「ギリシア人」ではない自分たちにとっては、
それは何を指し示しているのか分らない「しるし」ですが、

一文字一文字追っていきながら、
その「しるし」が何を指し示しているのかを
聴きとってみたいと思います。


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εικων ‘η λιθοσ ειμι・

τιθησι με Σεικιλοσ ενθα

μνημησ αθανατου σημα πολυχρονιον.


(読み方の例)

エイコーン ヘー リトス エイミ。

ティテースィ メ セイキロス エンタ、

ムネーメース アタナトゥー セーマ ポリュクロニオン。


(訳例)

私は石碑です。

セイキロスさんが私をここに建ててくれました、

不滅の思い出の、長く生きのこる<しるし>として。


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■石碑の自己紹介です。
石碑は私たちにこう話しかけます。


■1行目

εικων 像
(女性形 主格 単数)

‘η
(冠詞女性形 主格 単数)

λιθοσ 石
(女性形 主格 単数)
※ペルセウスの語形分析では男性形と出てきますが、
 リデル・スコットのレクシコンへのリンクを見ると、
 女性形があることが分ります。

ειμι 私は・・・です
(現在形 直説法 能動態 一人称単数)
※(主格)+ειμι 私は(主格)です。


→□εικων ‘η λιθοσ ειμι・
  「私は像、石像です」


■2行目

τιθησι(τιθημι) 置く
(現在形 直説法 能動態 三人称単数 )

με(εγω) 私を
(女性形 対格(を) 一人称単数)

Σεικιλοσ (人名)セイキロスさんが

ενθα ここに


→□τιθησι με Σεικιλοσ ενθα
  「私をセイキロスさんがここに置く」


■3行目

μνημησ(μνημη) 記憶 思い出
(女性形 属格(の) 単数)
(< μνημονευω 思い出す 忘れない)

αθανατου 不死の 不滅の 永遠の
(形容詞女性形 属格(の) 単数)
(αθανατοσ > α + θανατοσ)

→「不滅の思い出の」


σημα しるし → 墓 etc.
(中性形 対格(を) 単数)
(< σημαινω しるす)

πολυχρονιον 長く生き残る
(形容詞中性形 対格(を) 単数 )
(πολυ + χρονιοσ)

→「長く生き残る<しるし>を」


→□2行目の「私を」を言い換えて
 μνημησ αθανατου σημα πολυχρονιον.
 「不滅の思い出の、長く生きのこる<しるし>を」


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θανατοσは「死」という意味なので、
α + θανατοσ は「不死の・不滅の。永遠の」という意味。

πολυχρονιονは πολυ + χρονιονで、
「多くの時の→長持ちの・長く生きのこる」という意味。


「思い出」(μνημη)は「不死」(αθανατοσ)ですが、
それを指し示す「しるし」(σημα)の方は「不死」ではありません・・・


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1.何らかの事情で
「私」は亡くなってしまったのでしょうか・・・
「私」との思い出がこの世からなくならないように・・・
永遠の思い出を指し示してくれる「しるし」として、
セイキロスさんが私(石碑)をたてて・・・


2.その後セイキロスさんもこの世を去り・・・

「ここ」に、「私」たちのコミュニティに、
セイキロスさんが私(石碑)をたててくれてから
何10年、何100年(*)、・・・

その間に国境も国の名前も言葉さえも変わって・・・

(*)この碑文はその書体上の特徴から
A.D.2世紀頃に刻まれたものと考えられているようです。
これについては後で具体的に見ていきたいと思います。


3.後には火薬庫に転用され瓦礫になったパルテノン神殿も、
それまではなにか神聖なものを指し示す「しるし」として、
教会やモスクに転用されながらその履歴を残してきましたし、

キリスト教文書の場合は、
せめぎあいの中で諸コミュニティの資料が
いわば神の言葉の「しるし」として生き残り
そうでないものとして死んでいく、
その「正典のプロセス」が歴史に刻まれてきましたが、

ラムゼイさんの紹介以前に
この「しるし」が語られてきた痕跡は残されていませんし、
この「しるし」が歌い継がれてきた痕跡も残されていません。

けれども、「しるし」として生きている限りは、
その「しるし」は不滅の思い出を指し示そうとしている・・・
耳を傾けてくれる人に、必要に応じて
ただ語るだけではなくうたう準備をしている・・・


4.そういうわけで、
次回は「小さな丸い大理石の柱」の「うた」、
その次に楽譜の「しるし」に耳を傾けて、
それが指し示すものを聴きとってみたいと思います。


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それでは改めて日本語訳を追いつつ、
できたらギリシア語で言ってみましょう。

私は石碑です。
セイキロスさんが私をここに建ててくれました、
不滅の思い出の、長く生きのこる<しるし>として。


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