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 □「セイキロスさんとわたし」 no.01

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■碑文資料についての報告

1883年、「フランス国立 アテネ学院」発行の
「ギリシア書簡報告」誌の中の特集「小アジアの未編集碑文」の中で、

Ramsay.W.M.,'Unedited Inscriptions of Asia Minor',
Nr.21.BCH 7,1883,277f./ Ecole francaise d'Athenes
BCHはBulletin de correspondance helleniqueの略

ラムゼイさんはこのような報告をしています。


「パーサー氏所蔵の小さな丸い大理石の柱(aidinから持ってきた)には、
こう書いてある。

 *ギリシア語13行と、6行目以降の行の上の何かのしるし。
 *左ができるだけそのままを活字で書き写したもの
 *右はしるしを除いた読める部分だけを小文字の活字に起こしたもの

この碑文はとても明瞭で簡単に読める。
けれども私は第二部の行の上にある小さな文字が
何を意味するのか分からない」


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ギリシア語になじみのない住民には、
この資料そのものが「何を意味するのか・・・」という感じですが、
「小アジア」のギリシア語事情はどんなものだったのでしょうか・・・


■「小アジア」の場所

ペルセウスの地図で「小アジア」の場所を確認してみましょう。

ペルセウスの始めのページ
左上目次からclassicsを押すとこのページが開きます。
ここで右下のplot sitesのボタンを押します。

するとペルセウスに載っているギリシア・ローマ資料の場所情報が
地図上にマッピングされます。

左がイタリア半島、
真ん中がギリシアのペロポネソス半島、
そして右側がトルコのアナトリア半島(小アジア)です。


■「小アジア」の「aidin」の場所

□地名辞典を見ると、「aidin」は今日「aydin」
(iは点が付かずに「ぅ」と発音する:アイドゥン)と書くようです。

アイドゥン(aydin):トルコ南西部、アイドゥン州の州都。
イズミール(*)の南東88キロ。古称トラレス(tralleis)。
近郊に古代リディア王国の都市トラレスの遺跡がある。

*イズミール(旧称スミルナ):トルコ第三の都市。
古代ギリシアの植民都市。紀元前627年リディアの攻撃により滅亡。
前3世紀再建、ローマ時代まで繁栄。
中世ビザンチン・十字軍・アラブ・トルコ間で争奪が繰り返されたが
ギリシア文化の一中心として、ギリシア商人により活発な貿易を続けた。
第一次大戦後ギリシア領、1923トルコに返還。
この時ギリシア系住民が退去したため貿易は縮小。

『コンサイス外国地名事典改訂版』(三省堂 1993)
※ローマ字読みだと地名の読みは次の通りです。
「トラレス」は「トラッレイス」
「リディア」は「リュディア」
「スミルナ」は「スミュルナ」

「aydin」というトルコ式アルファベットによる綴りは
1923年以降のものと考えられます。
ラムゼイさんがこの報告を書いた当時(1883年以前)
トルコはアラビア文字を使っていたようです。
(年表参照)


□先程の地図の中のどこに「aydin」があるかを確認するために、

1.地図の下のplot sitesの欄の
「Search this Map View」にチェックを入れて、
(「Search Globally」にチェックが入っていると、
世界中から「aydin」を探してきてしまいます)

次に空欄に「aydin」(あるいはtralleis,tralles)と入れて
丸まった矢印ボタンを押してみましょう。

すると地図の中に「aydin」の場所が示されます。

2.字が見えにくいので、
ここでズームインしてみましょう。

右上の
「Find a region or country(国または地域を探す)」
という文字の右に逆三角のついた四角いボタンがあります。

これを押すと窓が出てきますが、
その右下の逆三角のついたボタンを押して
国地域名を手繰っていって、
「turkey(トルコ)」という文字を押してみましょう。

するとトルコにズームインします。

3.ためしに地図の左側の左向きの三角を押して見ましょう。
するとギリシアが見えてきます。
右の方に行くとイラン(ペルシア)、
右下に行くと福音書の舞台などが見えてきます。


※普段使うときは
「aydin,smyrna,ephesos,priene,pergamon」など
場所を知りたい地名をコンマ区切りで打ち込んで地図を出したあと、
地図の左上の+印の虫眼鏡ボタンを押したうえで、
地図のズームインしたいところを
マウスのボタンを押したまま引きずって黄色い四角で囲み、
マウスのボタンを離して20秒ほど待ってズームインする、
といった操作が便利かもしれません。
ズームアウトは−印の虫眼鏡ボタンを押して20秒ほど待つだけです。


□さらに詳しくaydinの地理情報や文献情報を見るためには、
画面右上のペルセウスの検索欄に「aydin」と入れて
「search(検索)」ボタンを押します。

「Perseus Tools and Information(ペルセウスの道具と情報)」の
検索結果表示欄からは、先ほどの地図情報が出てきます。

「Greek and Roman Materials(ギリシアとローマの資料)」の
検索結果表示欄からは、
「Perseus Encyclopedia(ペルセウス百科事典)」、
「ハーパーズ古典古代辞典(1898)」(高原に立地していること等)、
「プリンストン遺跡百科事典」
(元資料(ストラボン(648=14.1.42)の原文や英訳等)へのリンクも完備)、
等々、様々な資料を見ることができます。


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さて、ギリシア語碑文のあった場所が把握できたところで、
住民とその使用言葉の移り変わりについて見てみましょう。

簡単な年表(前11世紀以降)を纏めてみました。

ただし
・碑文のあったアイドゥンそのものよりは
 イズミールのほうが中心で・・・
・簡略化して、対象は「ギリシア語」と「トルコ語」、
 移り変わりのプロセスの描写は省かれていますが・・・
 (様々な住民の普段のお付き合いや交易、
  あるいは頻繁に起こる戦争と
  それに伴う信じられないような殺人、離散、等々)


■イズミール地方略史

小アジア
 > イズミール(スミュルナ・スミルナ)地方
  > イズミール(旧スミュルナ・スミルナ)
  > アイドゥン(旧トラッレイス・トラレス)


前11世紀 小アジア西部にギリシア人植民都市
○「ギリシア人」「ギリシア語」
→*ギリシア人植民都市スミュルナ

前6世紀 リュディア成立
○「リュディア人」「リュディア語」
→*リュディアの都市トラッレイス

前6世紀 リュディアをアケメネス朝ペルシアが征服

前4世紀-前1世紀 ヘレニズム時代
○「ギリシア語」

前1世紀-4世紀 ローマ帝国

4世紀-15世紀 ビザンチン帝国

11世紀 トルコ人国家セルジュクトルコ成立
○「トルコ人」「トルコ語」「アラビア文字」
 「イスラム教」←「十字軍」
→*12世紀この地域もセルジュクトルコの統治下に

1299年 オスマントルコ帝国成立
→*のちこの地域もオスマントルコの統治下に

1453年 ビザンチン帝国滅亡

1829年 オスマントルコからギリシア独立

1883年 *今回の資料についてのラムゼイさんの報告

1919年 *ギリシア人の多く住むスミルナ地方をギリシア軍が占領
1922年 *アタチュルク率いるトルコ軍がスミルナ地方を占領
 (スミルナの大火)
オスマントルコ帝国滅亡

1923年- アタチュルク、トルコ共和国宣言
○「アラビア文字」から「アルファベット」に
「スミルナ(希)」は「イズミール」に
100万人規模の強制移住
:トルコの「ギリシア正教徒」はギリシアに、
:ギリシアの「イスラム教徒」はトルコに。


■こうして年表を見ていくと、

小アジアではトルコ語だけが話されていたのではないこと、

とりわけスミルナでは
「トルコ人」も「ギリシア人」も暮らしていたこと、
住民交換による「ギリシア人」人口の最小化が行われたこと、

等々が分かります。


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次に出版者とラムゼイさん自身についての情報を見ておきましょう。

■「フランス国立 アテネ学院
アテネのアカデミーフランセーズ

■「ラムゼイさん
イギリスの古典学者・考古学者・地誌学者(1851-1939)
今回の報告は大学から資金を得て小アジア調査に行った時の報告


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□(おまけ)こんにちのトルコ語アルファベットの例
2003日本におけるトルコ年(サッカー選手イルハンの写真など)


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■今回は、資料があった場所と言葉を確認してみました。

資料はどこにあったかによって使われ方が違ってきます。

「aydin」ではこのギリシア語の碑文は読まれていたのでしょうか・・・

興味は尽きないのですが、今日のところはここまでです。


■さて次回は、

資料のメディアについて確認していきたいと思います。

大抵の資料は具体的な場所に
具体的な体(メディア)を持って置かれています。

今回の資料のメディアはどんなもので、
それがどんなメディアに写されて使われてきたのか、

資料の画像の紹介史を辿りながら、
「小さな文字が何を意味するのか」ということについても、
画像でもう少し詳しく確認していきたいと思います。


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