むさしあぶみ

むさしあぶみ』は 「世すて人にはあらで、世にすてはてられ・・・」 (世捨て人ではなく、世に捨て果てられて・・・)  の一文ではじまる、明暦の大火(1657)の記録絵本・・・ 語り手は、物語のお約束とも言える「旅の僧」・・・ 「旅の僧」は、復興の物語の進行を褒め称えながら・・・ 自らは復興の物語から漏れていく(捨て果てられてていく)・・・ もはや復興どころではなくなってしまった多くの様々な人々の一人として、 あるいは、あっと言う間にこの世から忘れ去られていく・・・ 多くの様々な死者達(その多くが無縁仏・・・)の証言者として語る・・・

『むさしあぶみ』のエピソードから・・・

子供の取り違え、死者の取り違え。 親は子を尋ね、夫は妻をうしなふて・・・ 再会して喜びをなす者、嘆きをいたすもの、相まじはりて・・・ 一日目は家族は皆無事でお祝い、よろこぶ事かぎりもなし、 しかし、二日目の火事で家族はみんな死んでしまった・・・。 死者の供養。日本橋や京橋での粥の炊き出し。町の耐火復興・・・

○様々なエピソードの中から、神田川沿い「浅草惣門」・・・

(現代語訳の例) (*)以下に挙げる現代語訳は、 『むさしあぶみ−明暦の大火(振袖火事)』 (東日本橋 初音森神社彌宜 田部幸裕編)からの引用。 値段のついていない/本屋さんには置いていない冊子ですが、 運が良ければ初音森神社で五百円位で頒けて頂ける可能性があるようです! 東京都中央区東日本橋2-27-9 両国橋・柳橋のある区画の両国広小路側。 JR浅草橋駅から浅草橋を渡って、左折1軒目辺りの鳥居。   伝馬町より浅草惣門の際までの道のり八丁四方、   人と車長持がいっぱいで、立ち止まることもできず、空地もほとんどない。   惣門をたたく者、   その後から数万の人が押しつ押されつ前へ進もうとしている。   門のかんぬきを引き抜こうとしたときには、   門の前には重い家財雑具が上へ上へと積み重ねられていたので、   うち開きの扉はこれにつかえて開けることができない。   引き返すこともできず、前へ進もうとしても門が開かず、   あとから多くの人が押し寄せ、   身動きがとれない状態となり、まさに進退きわまった。   ただ手を握りしめ、激しく体を揺り動かすだけで、言葉もでない。   ・・・   炎は空高く舞い上がり、   風にまかせて飛び散りあるいは集まり、押しあい揉みあい、   三方から人の頭に降りかかり、多くの人が騒ぎたった。   あまりのすごさに耐えることもできず、   あれよあれよという間に倒れている者の肩を踏みつけて走る者、   屋根に上って逃げる者があった。   せめて命だけでも助かるようにと、   高さ十丈と思われるほどの   切り立った石垣の上から堀のなかに飛び込んだが、   下までいたらずに石垣に頭を打ち砕いたり、   腕を折ったりして半死半生になった者もあった。   堀のなかへ飛び込んだ者は、   腰を打って立ち上がることができなかった。   そんなところへ上から飛び込んできた者と重なったり、   倒されたり、踏み殺される者もあった。   あんなに深い浅草の堀も死人で埋め尽くされた。   その数二万三千余人、三町四方に折り重なって堀はまるで平地のようであった。   あとから通る者は、自分は少しも怪我をせず、   その死人を踏んで川向に這い上がって数多く助かった。   重々しく構えていた見附のやぐらに猛火が降りかかり、   どっと崩れて、死人の上に降りかかった。   人が押し寄せ、車にさえぎられて、いまだに逃げられない人々は、   前に進もうとすれば火が降りかかり、   うしろに行こうとすれば火の粉が雨のように降りかかった。   多くの人々は、念仏を唱え、助けを求めるが、   前後の猛火に取り囲まれ、   一同「あっー」という悲壮感ただよう叫び声は、   上は天空に響きわたり、   下は金輪(大地の上層)のそこまで聞こえるほどで、   身の毛もよだつばかりであった。   翌日その様子をみると、   馬喰町、横山町の東西南北に重なって臥している死人は眼も当てられなかった。 (翻刻の例) 伝馬町よりあさ草の惣門 つゐじのきはまで、そのみち八町四方があひだ、 人とくるま長もちと、ひしとつかへて、いさゝか きりをたつべきところも あきぢはさらになし。 門はたてゝあり、跡よりは数万の人、おしにおされて せきあひたり。 門のきはなるものども、いかにもして門の関貫を引はづさんとすれども、 家財ざうぐを いやがうへにつみかさねたれば、これにつかへて とびら更にひらかれず。 さてこそ前へすゝまんとすれば門はひらけず、 うしろへかへらんとすれば、跡より大勢せきかくる。 しんたいこゝにきはまり、手をにぎり身をもみて、只あきれはてたる・・・。 ・・・。 ほのほは空にみちみちて、かぜにまかせて とびちりつゝ、 かさなりあつまり、おしあひ もみあふ人のうへに、 三ばうよりふきかけしかば、すまんのなんに よさはぎたち、 あまりにたえかねて、あるひは人のかたをふまへて はしるもあり、 あるひは屋のうへにあがりて にぐるもあり。 これはこれはというほどこそありけれ、 たかさ十ぢやうばかりに きりたてたる いしがきのうへより、堀の中へとび入けり。 せめて命のたすかるかと、かやうにせしともがら、 いまだしたまでおちつかず、石にてかうべをうちくだき、かいなをつきおり、半死半生になるもあり、 したへおちつくものは、腰をうちそんじて たちあがることをえざるところへ、 いやがうへにとびかさなり、おちかさなり、ふみころされ、おしころされ、 さしもにふかきあさ草の堀、死人にてうづみけり。 そのかず二まん三ぜんよ人、三町四方にかさなりて、ほりはさながら平地になる。 のちのちにとぶものは、前(さき)のしがいをふまへて飛ゆへに、 その身すこしもいたまずして、河むかひにうちあがり、たすかるものもおほかりけり。 とかくするあひだに、重々にかまへたる見つけのやぐらに猛火もえかゝり、 大地にひゞきてどうとくづれ、死人の上に落かゝる。 さて人にせかれ、車にさへられて、いまだ跡に逃をくれたるものどもは、 むかふへすすまんとすれば、前には火すでにまはり、後よりは火の粉雨のごとくにふりかゝる。 諸人こゑごゑに念仏申事、きくにあはれをもよほすあひだに、前後の猛火にとりまかれ、 一同にあつとさけぶ声、上は悲相のいたゞきにひゞき、下は金輪の底迄も聞ゆらんと、身の毛もよだつばかりなり。 翌日みれば、馬喰町、横山町の東西南北にかさなり臥たる死人のありさま、目もあてられぬありさまなり。 こうした災害は度々繰り返され・・・ (cf.20年に1度は来る地域を横断する大火、数年に1度は来る地域の火災・・・) 関東大震災(1923)(*1)東京大空襲(1945等)(*2) でも繰り返されました(焼け出されて水中へ等々の例)・・・ (*1)廣井脩教授(東京大学)関東大震災体験聞き書き(全7頁)   (三万人超が半日でほぼ全滅した 回向院裏の空地で 生き延びた人の体験集)   →ここなら安全と思われた空地で、    火災旋風に巻かれ、水路に飛び込み、念仏が起こり・・・    この回向院裏の空地だけで3万人超の死者(全体では死者10万人強)・・・    忘れっぽい「世」の人々には「未曾有(未だ嘗て有らず)」の事態・・・    しかし例えば、「世に捨て果てられ」た者の    記録絵本『むさしあぶみ』には1657年の同様の事態の描写が・・・    (火災旋風に巻かれ、水路に飛び込み、念仏が起こり・・・・・・)    →東京市編纂による『むさしあぶみ』抄録の復刻・・・   cf.陸上で海水に巻かれた・・・     東日本大震災(2011)に伴う津波被害(死者恐らく2万人弱)に対する     明治三陸地震(1896)に伴う津波被害(死者2万人強)・・・ (*2)内海桂子師匠の東京大空襲体験(結果的に褌一丁の人に命を救われた話を巡る131投稿)   (思うに、褌一丁の人は関東大震災の体験者でしょうか、身動きの取れない全滅地帯の再現を全力で阻止・・・) 家族・お店・地域等々の共同体の全滅で 何万単位で発生する行き場の無い死者(無縁仏)・・・  → 明暦の大火を機に創建、無縁仏の回向施設、    回向院(正式名「諸宗山 無縁寺 回向院」)。    日本橋地域と回向院を結ぶ両国橋の架橋。    地震・飢饉・洪水・兵火・疫病等々の災害史(以上『むさしあぶみ』)。  → その後も続く 飢饉/伝染病による犠牲者・・・  → 死者の回向を兼ねる「両国橋川開きの花火」 → 隅田川花火大会・・・
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