東京日本橋の災害資料

■日本橋地域は、江戸時代以降、防災に力が入れられてきた地域のひとつ。 例えば、日本橋界隈の水害を避ける効果も兼ねて、 日本橋川のバイパスとして神田川(御茶ノ水の渓谷)が作られ、 隅田川(本来旧利根川本流のひとつ)のバイパスとして銚子に注ぐ利根川が作られ・・・ --- ■明暦の大火(1657)記録絵本『むさしあぶみ』:リンク先上部の写真を叩くと絵本が開きます。  『むさしあぶみ』簡単な解説と翻刻例。関東大震災と東京大空襲についても。 火事の拡大と強風、数万人規模の死者・・・ 行き場の無い死者(無縁仏)を回向する「回向院(諸宗山 無縁寺 回向院)」の創設、両国橋の架橋・・・。 明暦の大火以降、様々な防火対策が試みられましたが、 大火は繰り返され、日本橋も何度も焼け落ち・・・何度でも復興を繰り返し・・・ --- ■安政の三大地震と呼ばれる、 1.「東海地震」(1854 M8.4) 2. 翌日の「南海地震」(1854 M8.4 cf.津波物語の名作「稲むらの火」) 3. 11ヵ月後の「関東南部地震」(1855 M6.9 江戸でも大きな被害、鯰絵の流行) □和歌山の津波物語の名作「稲むらの火」のモデル濱口梧陵。 和歌山出身。ヤマサ醤油(銚子/日本橋)当主。 初代駅逓頭(日本の郵便を司る駅逓司(cf.日本橋郵便局)の長)・・・ □濱口梧陵と津波の事例が新聞に  → ラフカディオ・ハーン『生神』(物語化)  → 小学国語読本『稲むらの火』安政地震(1855)被害地図 中央下段に日本橋。隅田川対岸や神田川対岸等で火災が・・・ ■安政大地震頃の江戸の鯰絵から『世直し鯰の情』・・・ 地震キャラの私ですが、ご存知の通り、 鯰が千百万寄っても大地は一分も動きません。 魚心あれば水心、世直しのお手伝い云々・・・ --- ■関東大震災前の日本橋。 (中央区郷土天文館 収蔵品アーカイブズより) 人力車、馬車、都電・・・魚河岸、日本橋、三越・・・ 関東大震災(1923)。数万人規模の死者。 中央区郷土天文館 収蔵品アーカイブズの 絵葉書貼込帳に見る 震災後/震災前の絵葉書や絵本作家蕗谷虹児の震災絵(「画像拡大ボタン」を押下。絵葉書66枚収録)。 cf.隅田川対岸の陸軍被服廠跡の空地では、火災と強風のため、3万人を超える死者。 明暦の大火の記述と重なる、隅田川対岸の被災記録(全7頁)・・・ ■東京市編纂『明暦 安政 及 大正 の難』(関東大震災の翌年1924年刊行) 「明暦の大火」「安政の大震」資料 + 「関東大震災」の分析・・・ (「明暦の大火」資料として「むさしあぶみ」を抄録(翻刻の9割方と絵の5割方))  「今回の大震の苦患を目の當たりに見た我等は、   斯うした變災が度々時を隔てゝ   東京の地に繰りかへされて来たことを忘れることは出来ない。・・・」 ■震災復興建築の例。 復興小学校(十思小学校(日本橋小伝馬町)、常盤小学校(日本橋本石町)等) 復興公園(浜町公園)、復興橋(両国橋、清洲橋、永代橋等)。 ■民間復興建築 三井本館。 耐震耐火性能の高い「鉄骨鉄筋コンクリート構造」の 鉄骨が組みあがった写真など(三井本館の歩み) ■日本銀行側から見た三井本館と三越(1929年)。 (中央区郷土天文館収蔵品アーカイブズより) 当時非常に珍しい乗用車や自転車が、この辺りには・・・ (*)S字カーブを描く乗用車保有数グラフ 乗用車の一般市場への普及は1960年頃始まり(高速道路の建設 起点としての日本橋)、2000年頃収束・・・
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